灰をかぶったことが、70年以上前に亡くなっていた方に繋がる話

灰をかぶった線香立て
私が倒した線香立て(まだ現役です)

ことの始まり

私がまだ”ハイハイ”をしていたころなので、私には記憶が無く母から聞いた話です。

我が家には昔から仏壇があります。

ある日、普段仏壇にいたずらすることのなかった私が、その日は何故かおもむろに仏壇に手をかけたらしいのです。

線香立てに手がひっかかり、赤ちゃんの私は中の灰を頭上からかぶったことが事の発端でした。

その時の様子でおかしかったのは「頭から灰をかぶった」では済まされなく、なぜか顔の穴という穴に灰が入り込みえらいことになったこと。

母は慌てて、目、鼻、口、耳を洗うことになり、

当然泣いていたんだろう赤ちゃんの私と格闘したのです。

相談

その時直感の働く母は「これは何かあるんじゃないか」と思い、やはり感覚の鋭い方に相談に行きました。

「もがいている人が見えるの。」
「あなたのご先祖様で亡くなった方いない?旦那さんの方で」

母、早速おばあちゃん(父方)に確認しました。おじいちゃん(父方)の兄弟はその当時9人とも健在。

親戚筋にも普通に病気で亡くなった方が多く、きちんと年回供養もされている。

おばあちゃんの親戚は、戦争で亡くなったり肺病でなくなったりした方はいますが、こちらもきちんと供養されていて。
結局、おばあちゃんにも分からず、探し当てることができないまま月日が過ぎて行きました。

亡くなった方がわかる

数ヶ月経ったある日のことです。
おばあちゃんから母に電話が入りました。

「もしかしたらって言う人がいたよ!」

そしてここからなんと明治時代に時代が遡るのでした。
おばあちゃんのお母さん(私からは、ひいばあちゃん)のご実家で不幸があった時のお話です。ご実家のどなたが亡くなったんですね。

亡くなってから埋葬するまで、蝋燭やお線香を絶やさないようにするため寝ずに火の番をすることがあります。(今でもするお宅があるかもしれません。我が家でもおばあちゃんが亡くなった時はやりました。)その日は、その実家に嫁いできたお嫁さんが御遺体を守っていました。

その日、山梨の大月地方はまれにみる大雨と悪天候。
その大雨によって大規模な土砂災害が起こり、そのお嫁さんは守っていた御遺体と一緒に流されてしまったと…。

1907年の土砂災害、なんと歴史に残っていました。

明治40年の大水害

wikipediaより

土砂と一緒に流れてしまったため、しばらく見つからなかったそうです。
お嫁さんの御遺体はだいぶ経ってから、大月から大きく流され、かなり離れて神奈川の相模湖近くで、それこそ穴という穴に泥が詰まった状態で見つかったと…。

その後月日は経ち伝聞するものも途絶え、親戚の中では忘れ去られていた様なのです。明治40年ごろの話です。

私が灰をかぶったのが1970年代後半と考えると、およそ70年後に私の灰かぶり事件と言う形でその現象が出たことになります。

このことがわかって以来毎年、母は仏壇にそのお嫁さんのお名前を入れてご供養していました。

十数年後その親族に会う

そして私が灰をかぶってから十数年。

おばあちゃんが亡くなった時、私は高校生。

お葬式のときにそのお嫁さんのご親族の方がいらしていました。

我が家がずっとご供養していたことをおじいちゃんから聞いていたようで、母はその方に御礼を言われたそうです。そしてわざわざ、制服姿の私のところにもいらして、「あなたがその子だったのね。ありがとう」と感謝されました。私の腕をさすりがら伝えてくれたその姿がとても印象深く、その光景は今でも鮮明に覚えています。

まぁ、私は灰をかぶっただけですけど🤣

今でも亡くなったそのお嫁さんのお戒名は我が家の仏壇の中にあります。

月命日、その方のお名前を見るたびにこの話を思い出します。

そのお嫁さんと私は血がつながっていませんが、世の中には不思議な縁がつながることがあるんだなぁと感じる、そんな不思議な我が家の出来事でした。

お線香